大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長野地方裁判所 昭和52年(わ)75号 判決 1977年12月24日

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、

被告人は、料理を調理して来客に提供する業務に従事していたものであるが、昭和四七年九月一八日午後六時三〇分ころ、高橋渡外二名の来客に「ふぐ」料理を提供するに際し、通常「ふぐ」は人体に有毒な物質を含有していてこの有毒物質を食するときは中毒症を惹起するおそれがあるのであるから、「ふぐ」料理を調理するに際しては専門的知識・技術を習得したうえで調理するなどして有毒な物質を含有する部分を来客に提供することのないようにその調理方法を十分研究したものでなければこれを調理してはならない業務上の注意義務があるのに、これを怠り、「ふぐ」料理の調理方法につき専門的な知識・技術がないのに漫然有毒物質を含有する「まふぐ」の肝臓数切れを調理して同人らに提供してこれを食せしめた過失により、右高橋をふぐ中毒症による心不全のため翌一九日午前六時八分ころ死亡するに至らしめたほか、小山信代及び小山絹江に対し各四日間の入院加療を要するふぐ中毒症の傷害を負わせたものである。

というのである。

そこで当裁判所において審理した結果

《証拠省略》

によると、本件事実関係は次のとおりと認められる。

被告人は、長野県飯山市大字飯山一、一六六番地所在の食堂「満月」の板前として、各種料理を調理し来客に提供する業務に従事していたもので、調理師見習当時大阪で「ふぐ」の調理方法を修得していたので、昭和四六年頃から右「満月」においても冬場の一一月から三月頃まで「ふぐ」料理を客に提供していた。昭和四七年九月二日「満月」の従業員慰安旅行の際輪島の朝市において、営業用若しくは自家用と特に目的を定めず「まふぐ」を購入した際、同朝市において魚類を販売していた田上みよが「まふぐ」をいわゆる研いだとき取り外し放棄しようとした肝臓を見て美しく思い食したくなったので、同人に対し肝臓の提供を求めた。被告人は調理師見習当時に調理師から「ふぐ」の内臓には毒があると教えられたが、内臓のどの部分に毒があるのかは教えられなかったばかりか、血はよく洗うよう教えられ、その後自ら「ふぐ」料理を調理するようになった後も魚屋が「ふぐ」を研いでから納入するとき睾丸(しらこ)を一緒に納入したことから、内臓の全部に毒があるのでは無く、血液と卵巣のみが毒であると信じていて、本件で田上みよから肝臓の提供を求めたときも、上松幸夫から大丈夫かと言われ、「卵巣以外は大丈夫だ。」と答え、田上みよも内臓の青い袋を破らねば肝臓を食べても大丈夫と思っていたので、被告人の求めに応じ肝臓を提供した。被告人は、輪島から持帰った「ふぐ」の肝臓を、魚屋から仕入れた「あんこう」の肝臓と共にうす切りにして「満月」の冷蔵庫に保存し、一〇日の昼頃、その中から特に「ふぐ」の肝臓を「あんこう」の肝臓から選別して四・五切れ位取り出し、更に細かくぶつ切りにして醤油で煮て、他の「満月」従業員と共に食したが、誰れも異常は無く、また九月一〇日から九月一八日までの間に「ふぐ」の肝臓と「あんこう」の肝臓とを混ぜたものを一〇組位の客に提供しその半分は客が残し、半分は食しているが異常のあった客は無く、本件で九月一八日高橋渡他二名に提供したのはその最後に残っていた一切七グラム位のもの(被告人は当公判廷において一切七〇グラム位と供述するが購入した「ふぐ」が一匹八五〇グラム位のものであるから一匹分の肝臓が七〇グラム程度で、それを直径三センチメートルから五センチメートル位の薄切りとしているのであるから一切七グラムと供述すべきを誤って七〇グラムと供述したものと認める)三切れであったが、この三切を高橋渡他二名のうち誰が何程食したかは判然としないが、最後残ったものを雑炊として全部食しているので、提供された「ふぐ」の肝臓三切れは高橋渡ら三名で全部食したことになり、その結果高橋渡は翌一九日午前六時八分ころ飯山市大字飯山八一六番地所在の飯山赤十字病院で「ふぐ」中毒症による心不全のため死亡、小山信代、小山絹江は各四日間の入院加療を要する「ふぐ」中毒症の傷害を蒙った。

そして、九月初旬に輪島市近海で捕獲された「まふぐ」の肝臓一〇検体を使用し毒性判定試験を実施したところ、通常の嗜食量においても人体に傷害の結果をもたらすと考えられる毒力一、〇〇〇単位を超過したものは、わずか三検体に過ぎず、谷巌作成の「日本産フグの中毒学的研究」によると「まふぐ」の肝臓は有毒であるが、その毒性は季節により異なり、抱卵期(一二月―四月)産卵期(五月―六月)には著しく無卵期(七月―一一月)には毒力も弱く一一月に一〇〇単位のものを認めたのみであり、毒性の頻度も低いということであるから、鑑定人神津公作成の昭和五二年一〇月一九日付鑑定書による如き毒力一、〇〇〇単位以上のもの三検体存在したことは希有のことと判断される。

もっとも、希有のことであるとしても九月に輪島市近海で捕獲される「まふぐ」に肝臓の毒力一、〇〇〇単位を超過するものが存在することには変りなく、「まふぐ」の肝臓を食した場合傷害の結果発生の可能性はあるということができるが、被告人を含めた一般人にそのような結果発生を予見することが可能であったかどうか考察するに、毒力の存在が希有であるということは多くの場合肝臓を食したとしても無事に終っているであろうから肝臓が有毒なこともあるということは一般には知られていないであろうし、被告人に「まふぐ」を販売した田上みよにしても、肝臓に毒のあることは知らず、被告人も「卵巣」と「血」のみが毒であると信じ、自ら肝臓を醤油煮にして食している事実に照らしてもその有毒性につき疑惑をもつことすら無かったもので、一般の「ふぐ」料理業者に本件の如き結果が発生することの予見可能性は無かったように認められる。

そうだとすると、被告人には本件結果の発生につき客観的予見可能性がなく、従って、結果発生を回避すべき業務上の注意義務の発生する余地はない。

検察官は、本件において過失犯成立の前提として、通常「ふぐ」は人体に有毒な物質を含有していて、この有毒物質を食するときは中毒症を惹起するおそれがあるというが、前掲谷巌著書によると「ふぐ」の毒性はその種類によっても、また季節によっても異るというのであるから、一般的に検察官主張の如き事実を前提とすることはできず、更に検察官は注意義務の設定において、調理方法を十分研究したものでなければこれを調理してはならない業務上の注意義務があるとするが、本件中毒事故の原因が調理方法の誤りに存在するのでは無い事は明白であるから、問題とすべきは被告人に当該肝臓に人類の生命に危険を及ぼす毒力があるという事実につき認識し得る可能性があったかどうかという点をめぐって注意義務を考えなければならない。

一般的にいって、料理業者が来客に料理を調理するにあたり、人体に有害な恐れのあるものを材料に供して調理してはならないことはいうまでもないが、有毒性につき疑惑の無い場合にまで食用に供する前に何らかの方法で安全性を確認せよとまで求めることはできず、またたとえ安全確認のため何らかの検査を施したとしても多くは無毒であるが希有に有毒なものがあるとの前提条件のもとでは、結果を予見できない公算が大で検査は無意味に終ることが多いと思われる。

結局本件の如き中毒事故の防止は、行政取締によらなければならないが、一般に多少のしびれを感じる程度の毒がある方が美味であるとして嗜好家に珍重され、また、ふぐ毒自体鎮痛剤となる場合もあるのであるから一概に全面禁止とは参らぬだろうが、年間を通じての科学的調査と研究に基き算定された危険性の度合に応じた行政的規制は可能であろうと思われる。

以上のとおり被告人が高橋渡他二名に対し「ふぐ」料理に「まふぐ」の肝臓を提供するに際し、人体に対する侵害の結果が生ずることについては、客観的予見可能性がなかったものというべきで、被告人に結果回避の注意義務が発生する余地はなく、従って被告人に過失があったと認めるに足る証拠はなく、本件公訴事実は犯罪の証明が無いことになるので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 長谷川邦夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例